空気吸うだけ

あんな風にも こんな風にも  生きたくない

小坂忠さんのこと

 
 
 
 
 
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A post shared by TAKITA S1r (@tkts1r)

4月29日、夜、小田原、DJパーティ、雨の日に心地良い音楽流れる店内、今日はただの客。主賓の方が気を利かせ今度はたきたさんもと言ってくれて「いえいえ、こんなよいムードの中僕が入ると小坂忠とかかけて(場を)しらけちまいますから」と。もちろんこれは場を白けさせると小坂忠「しらけちまうぜ」を掛けた誰にも伝わらない親父ギャグだったのだけれど。数分後会話が途切れインスタのアプリを開いて冒頭松本隆さんがアップした忠さんの昨年秋武道館におけるスマイルショット。忠さんが亡くなったらしいと。数分前親父ギャグのネタに使わせてもらったばかりの後にこれは悪い冗談なのかと。

 

忠さんを最初に意識したのは矢野顕子グラノーラツアーで「ほうろう」がセットに入っていたからじゃないかと。グッドイーブニングトウキョウで聴いてだから88年。その後89-90年頃幸宏さんが自身のFM番組でよく忠さんの曲をよく流し、その後幸宏さん自身も91年のツアーで「ありがとう」「機関車」をカバー、後にライヴ盤「A NIGHT IN THE NEXTLIFE」はどんだけ再生した事か。更にその数年後渋谷系の盛り上がりの中で「ほうろう」をちゃんと聴いてみた、という感じだったかな。

 

小坂忠さん、その頃はキリスト教方面の音楽でご活躍という事で半ば伝説化していたけれどちょっとだけポップフィールドに戻ってきてくれた。ミレニアムの2000年、細野晴臣鈴木茂林立夫が結成したティン・パンのアルバムとライヴにゲストで参加。特にNHKホール公演で吉田美奈子と一緒に歌った「機関車」、サビに差し掛かった瞬間背筋がゾクゾクした事はたぶん一生忘れない。忠さんと美奈子に挟まれた大貫妙子が捌けずにただ下を向きずっと聴いていたのもすごく印象に残ってる。

 

ティン・パンは記念的参加かな?と思ってたら翌年細野晴臣プロデュース作「People」をリリースしポップフィールドに完全復帰。アルバムが出る少し前の9月末、新宿にあった日清パワーステーションで小さなショウケースを観た。正直忠さんより細野さんや茂のプレイ目当てだった。そこでの忠さんがこんな事を言った「25年ぶりくらいにアルバムを出すんけど、僕はこの25年歌を歌ってこなかった訳ではないんです。皆さんの知らないところで歌はずっと歌っていたんですよ」と。この時の忠さんのやさしい語り口、シンガーであり牧師さんであり、大袈裟かもだけど自分に足りてなかった父性みたいなもの(?)をも感じた。ゴスペルだろうとポップミュージックであろうとこの人の音楽をこれからも聴いていこうと。残念だったのはこの3ヶ月後新宿厚生年金会館で開催のレコ発ライヴに行けなかった事。急遽夜間作業の仕事が入り泣く泣く売ってしまったチケットは前から3列目だったのに。

 

その後も頻繁ではないけれどいろんなところでライヴ観た。Dr.Kyonの指導の下幸宏&小原のリズムで踊らされたビルボード東京、佐野史郎さんゲストでマニアックなトークも弾んだ横浜のサムズアップ、場所は忘れたけど長髪のズラを被らされ昔の歌を歌った事も(笑)、あと夢の島公園のフェスで観た事とかね。忠さんの牧師さんらしからぬ自由奔放ぷりも楽しく今思うとポップフィールドに復帰したPeopleの頃はそれなりに緊張してたのかな?と思ったり、それくらい自由奔放(笑)

 

「ほうろう 40th Anniversary Package」小坂忠(2015/Sony Music Direct

 

75年の名盤、2009年ボックス発売時に発見されたマルチテープからのリマスター音源とそのマスターを新たにミックス、ヴォーカルを録り直した「HORO 2010」とのカップリング盤。両方別々に持っていたので未購入のままだったけどここに来て欲しくなり購入。同じもの何枚持ってるんだと(笑)。オリジナルが名盤である事に全く異議はないけどここでは是非35年後のほうろう「HORO 2010」を聴いていただきたく。ゴスペルを経由しより深みあるソウルフルな歌声で歌われる「ほうろう」が2000年代から聴き始めた自分にとっては至って自然というか。これは野暮な解説は不要。もう聴いてもらえば。各種サブスクでも聴けます。

 

忠さんの訃報から暇さえあれば忠さんの事ばかり考えてる日々。個人的には大村憲司かしぶち哲郎に継ぐ大きな衝撃だけれど意外と悲しくはない。各方面から忠さんのお人柄が聞けたり考えてるのがたのしいくらい。(余談だけれど大滝さん、トノバン(加藤和彦さん)、清志郎など、もちろんショックだったけどライヴを頻繁に観ていた憲司さんやかしぶちさんそして忠さんはやはり身近な出来事に感じたです、はい)

 

近年の闘病は傍からも大変に見えてたし73歳はまだちょっと早いかな?だけど、あらゆる運命を受け入れ、往く道を選び、忠さんだからこそ歩めた唯一無二の生涯であったなと。忠さんは亡くなる半年前松本隆さんの50周年に手術直後の体をおして歌い切ったと聞いてる。友のために命を捧げ守護聖人となった殉教者が居た事を考えるとすごく忠さんらしい最期だったのかなと思ったり。(※守護聖人カトリック的思考でプロテスタントの牧師さんである忠さんに例えるのは何とも恐縮ですが「そうか、そうか、ありがとう」ときっと笑ってくださると信じて)